とさでいず

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応募した方もそうだけど、審査した方もダメだよね

こんにちは、Hiroです。

 

流氷科学センターの行った
第25回「オホーツクの四季」写真コンテストの審査結果について、
SNSなどで騒がれ始めたことは知っていました。
私もいつものことだと思い、無視して仕事に行ったのですが、
自宅に帰ってみると、TVメディアなどを巻き込んで、
相当の物議を醸していて驚きました。

 

私個人としては、糾弾せよとまでは思わないのですが、
応募した方にもそうですが、
審査した方に対しても呆れて、

深いため息が出てしまいます。

あぁ~あ、またかよって感じですね。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

 

皆さんはどう思われますか?

 

記事を読む限り、撮影者の方は別に悪いとは思っていないようですね。

「みんながやってるから俺も撮った」

「(写真が)おとなしいから」と考え、人が乗っている写真をコンテストに応募した。

 

そんな意見のようです。

「そんなつもりではない」とは言っても、どんなつもりであっても、
その行為自体が褒められない内容である以上、
私は不愉快な気分にさせる画像だと感じます。

確かに撮影者には「生命を冒涜する」そんな深い意図まではなかった。

それは確かかもしれません。

 

ただ、そういう事なら、ちょっと想像してみましょう。

「学校の四季」という写真コンテストがあったとして、
放課後の教室、いじめでリンチにあった男の子が倒れている。
クラスメイトも面白がってスマホで写真を撮っていた。
ちょっと写真が面白味がないと思って、
倒れている子を足蹴にして、写真を撮った。

なんとなくブログやTwitterに投稿したら、バズって炎上した。

メディアは違いますが、
俗に言うバカッターやバイトテロと変わらない気がします。

その状態でも、「そんなつもりではない」
「いじめたのはオレじゃない」と言って、
通用すると思いますか?

 

 公のコンテストに応募するということは

公(不特定多数)に作品を「評価してもらう」ことです。

評価とは褒められることではなく
「どれだけの価値・価格があるかを見定めること。」


つまり、
評価される=「褒められる。価値があると認められる
だけではなく、
評価される=「批判される。価値がないと否定される」
こともあるということを忘れてはいけません。

 出してしまったからには、評価されるのです。
ほとんどのコンテスト応募者は「入選」することや「賞金」など、
「価値があると認められる」良いことしか見ていない気がしますが、
「入選はしたものの、酷評されることもある」
ということを覚悟しておかなければなりません。


コンテストに応募される写真家さんは、
何があっても堂々と見せることができる作品
を応募して欲しいと思います。

審査員には何も言われなくとも、
今回のように見ず知らずの人に
「なんでこの作品が入賞なんだ?」
と言われることもありますよ。

最優秀賞を辞退した彼は
「主催者側に迷惑をかけるのであれば辞退する」と述べたようですが、
私には「迷惑をかけるのであれば」という言い訳で、
人のせいにして、上手く逃げたにすぎない気がします。

「誰がなんと言おうと、入賞作品は俺だ」と堂々と言えなかったわけですから。


せっかく出すのだから「誰が見ていても堂々と撮れる状態」で撮りましょうよ。

モラル違反、立ち入り禁止エリア、三脚、フラッシュ、etc.
証拠がなければ、とがめられなければ
何をやっても良いという風潮。そろそろやめませんか? 

コンテストには「胸を張って出せる作品」
「どこに出しても恥ずかしくない作品」を応募しましょう。

そう言いたくなってしまいます。

 

 

また、今回は選んだ方にも問題があると思います。

審査した方は
「クジラは生きていると思った。
その上に乗っかるなんて勇気があると思ったし、感動したので選んだ。
それが冒瀆と言われると何と言っていいかわからない」
と言われたようですが、何かがずれてますよね。

大分、想像力が欠如しているようにしか思えません。

陸に打ち上げられて苦しんでいる動物がいる。
生きてれば、足蹴にしていいんですか?

大海原を泳ぐ元気なクジラに跨った。
とかなら、イルカに乗った少年じゃないけど、感動もすると思いますが・・・。

 

いじめの例ばかりで申し訳ないんですが、

「もしかすると反撃されるかもしれないのに、
気にくわないからクラスの男の子を殴って倒し、征服とか言って足蹴にしていた。
それをいじめと言われると何と言っていいかわからない」

通用すると思います?

 

 

 

 

主催される方に言いたいのですが、

作品の芸術性は好き好きなのでともかく、
運営側も言われるとは思わなかったかも知れませんが、
現在の社会情勢から考えると、
不適切かどうかは「それなりの想像力」があれば、
分かるように思います。

 

作品のモラルに不明瞭な点があれば、撮影者に確認をとり、
あやふやな部分が多ければ選考から外すことも
立派な運営の仕事ではないでしょうか?

 

また、人間誰しも「認められたい」という
欲求を持っています。


自然界においてルールは弱肉強食なので、
強い人間が弱い動物に何をするのも仕方がないことかも知れません。

しかし、我々は「知性のある人間で」道徳というものがあります。

モラルのない作品で入賞してしてしまうということは、
「その行為が認められた」ということになります。

 

アマチュアや初心者にとって、プロ写真家さんは目標でもあり、
ルールの指標でもあります。

プロの方が「芸術のため」とか言って、
立ち入り禁止エリアに入って撮影したり、
モラルに反する行動をとっていたとしたら、
それを目標にする素人は「それがプロの撮り方で正しい」と考えます。

普通に考えるとおかしいのですが、
想像力の働かない人は本当にそんなものです。

特にコンテストに出すということは「認められたい」から出すのです。
ましてや、そういう人が、
ルールを犯して撮影した作品で入選したとなると、
承認欲求が満たされたことで、
「普通の撮り方ではダメだ。マナー違反して皆と違うことをしたから入選した!!」
という考えに至り、エスカレートすることは容易に想像できます。

いたずらをしてご褒美をもらえた犬は
ご褒美をもらうため、何度でもいたずらをするでしょう?

 

そういった意味でも、プロ写真家やコンテストを運営される方は、
これから続く人たちのためにも、
道を指し示す責任がある事を忘れてはいけないはずです。

 

 

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色々と書きましたが、
小さなコンテストで、これだけ多くの人が関心を持ち、
討論しているということは、
写真撮影のモラルについて皆が少しずつでも
変わっていく兆候が見えてきているのかな。
そんな風に感じられる部分があります。

淡い期待かもしれませんが、
今後は少しずつ良くなってくれたらと切に思います。

 

それでは。

 

 

 

関連リンクです。

tosa-days.hatenablog.com